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父のみそ汁

いま再来年のカレンダーの制作にとりかかっています。
担当の方と何年も先のための仕事をしていると、
そのとき生きていないと話にならないし、
どうするのだろうと心配になります。

とりかかっているカレンダーの画題は「家族」にしようかと思っております。
そういえば、母親を亡くしたあとの父親のみそ汁は、
何ともおいしくありませんでした。
フランス帰りの父(画家・雨田光平)曰く、
「ふらんす風は、ねぎは刻まない」のだとか。
きっと面倒だったのでしょう。
お椀持った子ねこと親父猫とで
お題は『父のみそ汁』なんてのはどうだろうかと思います。


空襲のとき、母は空を見上げて「まあ、きれい」と立ち止まりました。
自分の掘った防空壕に落っこちて足を骨折した父は動転していて、
母を叱りつけました。
母は病で死んだ弟の位牌だけ持っていましたし、
僕は鼻緒の切れた下駄をぶらさげて、学校の教科書を持っていましたが、
いつかどこかで鞄もろとも落としたらしく、
鼻緒の切れた下駄の片方だけを大事に持っていました。
父は松葉杖をついてリュックを背負い、
コーヒーの豆挽き機をしっかりと抱えておりました。

母が言っておりました。

「二度の空襲、福井の大地震での火災にも、
 コーヒーの豆挽き機をお父さんはしっかりと持って逃げました。
 あれはよっぽど想いがこもっている物ですね。
 裸のモデルさんが、あれでコーヒー豆を挽いたのだそうよ」

それまでは亡くなった母の嫉妬まじりの話だと思っていましたが
僕はこの歳になって、その話が本当なのだろうと納得いたしました。
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わたし、もも。

ももも

私がみつひろさんの愛人。名前は、ももと申します。

ときどき気がむくと膝の上までいって、頭を撫ぜさせてあげるの。
それが精一杯のサービスかなぁ。
たま姉さんがいなくなってから弟分のこうちゃんが私のご機嫌取ってくるけれど、
じろさんにも、みつひろにも気をつかわないとならないので毎日めんどう。
女の子だから仕方がないか。
あまねこパパ曰く、

「ももは天真爛漫からいつの間にか傍若無人になって、
 おとなしそうだけど、ちゃっかりしてて
 陰ではこうちゃんをいじめているみたい。
 人間の世界でも通用する女の子だね」って。

ねえ、それって褒めてる?

おいら、じろです。

じろじろ

おいら、じろと申します。
雨田家にいてやっているので、居候ではありません。
じつはネコが苦手で、これといったネコ友だちはおりません。

子猫のころ、隣の幼稚園に毎朝通っていました。
ネコにしては珍しく学歴があるのです。
食うことと寝ることがおいらの仕事です。
いっとき体重が8キロもあったので、見るからにこわそうだったみたいですが
ここだけの話、
おいら、シャイな性格でおとなしいのです。
ちなみに、いまは6キロです。

毎日弁当を届けてくれる弁当屋のおじさんになでてもらうことにしています。

しあわせだなぁ、たまちゃん

たまちゃん

赤いマフラーのたまちゃんは後期高齢者でした。
もうおりません。
亡くなるまでは隣の若いイケメンのこうちゃんが大好きでした。
ネコの世界には年齢が存在していないのでしょうか。
二匹で毛づくろいしているのを見ているのは、
こちらまで幸せになりました。
とても気難しいたまちゃんでしたのに…

私の相棒

相棒

このチェロは恩師の鈴木聡先生がフランス留学を終え帰国するときに
船の船室を最下級のクラスにまでして手に入れた
ビョームという楽器と弓のボアランです
プロフィール

雨田光弘

Author:雨田光弘
1935年東京生まれ。桐朋学園大学卒業後、日本フィルハーモニー交響楽団に入団。首席チェロ奏者として活躍後、ソロ・室内楽活動の一方で、幼少より才能を発揮していた絵の創作で一躍名を知られる。楽器を弾く猫や動物などのモチーフは、多くの著名演奏家や音楽愛好家にも愛され、ネコ好きにはたまらない魅力の作品を数多く描き続けている。

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